大学に不合格でも無意味じゃない! 大学に12回落ちた僕が学んだ真実
受験は人生における1つの大きなイベントだ。
その大学、その学部に受かるか受からないかでその後の人生が大きく変わる。
そして頑張って努力して、その結果が不合格であれば、費やした努力や時間にはたして意味や価値があるのだろうかと感じる人も多いだろう。
実際に僕は6年間浪人して、現役時代を含め合計で12回(国立大学の前期・後期)も不合格を経験した。
ここまで大学に落ちた人もそう多くはないのではないかと思う。
当時の僕も「大学受験は合格することが全て。不合格であったらなんの価値もない」と思っていた。
確かに、浪人する人にとって一番の目標は大学合格であり、可能な限りの努と時間をそのために費やすのは当然だと今でも思っている。
しかし、たとえその結果が不合格だとしても、そこにちゃんとした価値はあると僕は学んだ。
きれいごとでなく、不合格でも価値はあるのだ。
確実に成長できる
多くの人は物事を「結果」で考える。
例えば受験を「合格」か「不合格」のどちらかで考えるように。
しかし、かつての僕のように見逃してはいないだろうか。「結果」の前には「努力」があり、そしてその「努力」によって「成長」があるということを。
もしも本気で合格したいと考え、1年間必死で勉強するのなら、受験の知識以外にも多くのことを学び、身に着けることができる。
例えば、身近な誘惑に流されないよう、自分の意志をコントロールする能力。
問題が解けなかったり、成績が上がらなかったりしたら、どこに原因があるかを探る原因発見の能力。
常日頃から感じる不安やストレスに上手く対処する能力。
またそれ以外にも、時間管理能力や、効率的な方法を考える能力、知識を分析にまとめる能力など、今後の人生において役立つ能力を身に着けることができる。
努力の報酬は成功ではなく成長だ。そこを勘違いすると「努力は無駄」なんて考えが生まれる。努力したら確実に成長する。成功するかしないかは運、成長するかしないかは選択だ。成功しなかった=成長しなかったではない。自分の成長を認めず「努力が無駄になった」と決めつけるのは自分に対して不公平。
— Testosterone (@badassceo) 2018年6月2日
筋トレ本などで有名なTestosteroneさんのこの言葉の通りである。
大学受験は結果で語られることが多いが、その前には真剣な努力があり、確実な成長があるのも事実なのだ。
自分を本気で見つめなおせる
大学を不合格になった時のショックは想像以上だ。
パソコンに、もしくは掲示板に、自分の受験番号が存在しなかった時のあの瞬間。
頭が真っ白になり、「番号がない」という事実を受け止められずに、とぼとぼと1時間もただ歩き続けた、あの記憶。
今になっても、苦い思い出だ。
しかし、その不合格という経験は、僕に一つの機会を与えてくれた。
「自分を本気で見つめなおす」という機会だ。
当時の僕は本当に何も考えていなかった。
楽観的でマイペースな僕は、客観的に見るとかなり何年も浪人するということはかなりのリスクになるのにも関わらず、深く自分の将来や思っていることしっかり考えたり、自分とちゃんと向き合うことをせず、浪人することを決めてしまった。
自分自身について考えないというのは、人生で最大のリスクの1つだ。
自分の人生をどう生きるか。どんな選択をするか。
これは自分について考えることがなければ難しい。
そして不合格という辛い経験は、自分自身と向き合う大きい機会を与えてくれる。
悔しい気持ちが原動力になる
大学を不合格になった悔しさを忘れるのは難しい。
大学に入学して今年で3年目になる今でも、当時のことを考えると、悔しくなってしまう。
特に悔しくなるのは、医学部で勉強している、もしくはすでに研修医として働いているかつての友達の話を聞いた時だ。
「何かが違っていたら、その場所にいるのは自分だったはずなのに」
そう思うのは良いことではないのかもしれない。
しかし、この「悔しい」という気持ちは、今の僕を動かす力になっている。
大学に入学してから、かつてと比べるとずっと楽しい毎日を過ごしている。
しかしそれでも、嫌のことがあったり、苦しいと思える事もあるのも事実だ。
そんな時、当時の事を考える。
すると「いや、この程度でことで負けてられない。あの悔しさと比べたら、なんてことはない!」と思えるようになる。
そして「医学部に行けなくても、良かったと思える未来にしよう」という思いが持てるようになった。
まとめ
誰だって不合格にはなりたくない。誰もが合格を目指して頑張っているからだ。
でも、どうしても難関と呼ばれる大学や学部になると、合格する人よりも不合格になる人が多くなってしまう。それは事実だ。
どこの塾も合格者の人数を宣伝し、その裏にいる何倍もの不合格した人の人数を発表することはない。
このように、大学受験は多くの場合、結果が全てかのように思えてしまう。
不合格には意味がない。価値がない。1年間無駄な努力だったと感じてしまう。
しかし、断言できる。不合格にも価値がある。
だから、来年受験する人には不合格を恐れず、1年間必死で頑張って欲しい。
人によっては辛くて苦しくて、死にたくなるぐらいの1年かもしれない。
しかし、その1年は合格と同じか、それ以上の価値を与えてくれる。