ちゅんだーは地上へ落下中、そして考える。

医学部受験に6年費やしても不合格した人。腐らず、マイペースに生き抜くのみ

<学生オススメ本>働きたくないあなたにー読書感想「僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?」 (木暮太一)

アルバイトしている時にふと思う事がある。

「お金は欲しいけど、働くのしんどいなあ」と。

誰しも一度はそう思ったことはあるんじゃないだろうか。

アルバイトしている際の、自分の時間をお金に換えているような嫌な感じ。

アルバイトに行く準備をする際のけだるい気分。

社会人になったらこれがずっと続くかと思うと、将来に対して暗い気持ちになってしまうのは僕だけではないだろう。

 

そんな働き方について、希望を持てる道を示してくれる本が、本書「僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?」だ。

本書では、「資本論」と「金持ち父さん貧乏父さん」の2つの名著をベースとしながら、なぜ今の日本でいくら働いても生活に余裕がないのかを分析し、そこからどのようにして余裕を生み出せる労働に至るのかを説明してくれる。

 

 

僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか? (星海社新書)

僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか? (星海社新書)

 

 

 なぜ生活に余裕を持てないのか。

多くの大学生は月に20万も稼げれば、生活に余裕があると思うだろう。

しかし実際社会人になって月に20万を稼いでも、生活に余裕があると思う人は少ない。それは何故だろうか。

その理由は著者は以下のように説明する。

 

まず著者は商品の価値には2種類存在すると指摘する。

価値」と「使用価値」の2つだ。

「価値」=それを作るのにどのぐらいの手間をかけたのかの尺度

「使用価値」=それがどのぐらい役に立つのかの尺度

 

 そして重要なのは僕たちの「労働力」は「商品」であり、それ自体に「価値」が存在するということだ。

そして労働力の価値は以下のように決められる。

労働力の価値=衣食住の値段+娯楽+交通費+必要なスキル+その他

そして時給や給料は「仕事で消費したエネルギーを次に日までに回復させるのに必要なお金」と作者は示す

つまり僕たちがアルバイトや仕事でもらう給料は「エネルギーを回復する」ためだけのものである。

そのため昇進して給料が上がったとしても、その分の責任やストレスも同じように増えるため、余分なお金を得ることはできず、生活に余裕を持てなくなる。

これがいくら働いても生活に余裕がなくなる原因なのだ。

 

2つの価値を上げる

いくら働いても僕たちの生活に余裕がでない理由を説明した上で、筆者はその対策方法を示す。

それ自分自身の「価値」と「使用価値」を上げるということだ。

つまり、多くの努力を必要とし、なおかつ今後も周りから必要とされるスキルや能力を習得する必要があるということだ。

例を挙げるなら、医師になることがあげられる。

医師になるには医学部を合格し、国家試験に通った上で、厳しい研修をこなすなど多くの時間と努力が必要となる。

そして将来的にも医師が必要とされる時代は変わらないだろう。

他にも筆者が例に挙げているように、会計の知識、営業力、人脈など今後も必要とされるスキルも当てはまる。

この「価値」「使用価値」の高いスキルや能力を身に着けることによって、少ない労力で多くの対価としての給与をもらうことができ、それが余裕のある生活へと繋がっていくことを本書で示している。

 

まとめ

本書には何故ブラック企業のように長時間も働かせられるのか、会計の目線から見た自己資産についての考えなど、将来社会で働く上で役に立つ知識や考えなどを説明している。

少しでも働くことに対して疑問を持ったならば、本書はオススメである。将来の自分の働き方についてのきっかけになるだろう。

 

あの時の自分に戻れるのであれば ー映画感想「17アゲイン」

とにかく泣いた!特に終盤はボロ泣きだった。

この映画のように人生のどん底にいる主人公が、昔の輝かしい自分に戻って人生をやり直そうとするも、最後には今の人生のすばらしさに気づくってストーリーはとてもありきたりだ。

それでも心が動いてしまうのは、どこかで「今の人生を望んでいたわけではなかった」と思っているからなのかもしれない。

 

 

 

あらすじ

かつて主人公のマイクは高校バスケのスター選手だった。しかし現在、彼は仕事では評価されず、子供達とはぎくしゃくした関係になり、さらには妻とは離婚調停中という人生のどん底にいる。
「あの大会の日、もし彼女(現在の妻)じゃなくバスケを選んでいたら、成功した人生を送っていたはずなのに・・・」
そう自分の人生を後悔するマイク。

しかしある日、気が付くと自分の体が17歳の体に戻っていた。
そしてマイクはかつて通っていた高校へと戻る。人生をやり直すために・・・

 

感想

主人公は体だけが17歳の自分に戻って、現実はそのまま。つまり「名探偵コナン」のように体だけが若返っている状態だ。

そして17歳の主人公は自分の子供達も通っているかつての母校に、新入生として再び通うことになる。

しかし実は学校では子供達は様々な問題(息子はいじめられていて、娘は悪い男と付き合っている)を抱えていることが判明する。

そこで主人公がその問題に対して一緒に立ち向かっていくことで、父親として果たせなかった役割を、新入生として代わりに果たすことによって、子供達と新たに関係を繋ぎなおすシーンは感動的だ。

そしてそれと同時に、実は父親という事実を隠して仲を深めるというシチュエーションは、正体を隠して活躍するヒーロー物みたいで、どこかニヤニヤしてしまう。

 

しかしなんといっても、離婚寸前の妻との絆を再び修復しようとする主人公に心が打たれてしまう。

 

作中の主人公は日々の生活のなかで、バスケを捨ててまで選んだ大切な妻のかけがえのなさを忘れてしまう。

しかし17歳に戻り、自分の人生を遠くから見つめなおすことで、忘れてしまったものの存在を、その大切さを再認識するのだ。

主人公のように、目の前のことばかり注意がいってしまい、すでに持っているモノを忘れてしまう人は多い。

自分も「俺の人生はこんなもんじゃなかった」と考えることがある。

しかしそう考えてしまうときにこそ、今ある人や時間を大切にしようと思えるような映画だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<受験生オススメ本>日本最古のビジネス書?実用のための源氏物語ー読書感想「源氏物語の教え」 (大塚ひかり)

僕が受験生のとき、源氏物語がとても苦手だった。

日本の文学史の中で最高傑作とも評される源氏物語だけれども、俺にとっては試験の高得点を阻む、クソ古典でしかなかった。

実際、2014年のセンター国語の試験で源氏物語が出題され、多くの受験生が青ざめたと思うが、僕もその1人だ。

それ以降、源氏物語は目にするだけで怒りが湧いてくるシロモノになってしまった。

しかしそんな俺の源氏物語に対する印象をガラリと変えてくれた本がある。

それが大塚ひかりさん源氏物語の教え」だ。

 

 

実用書としての源氏物語

作者いわく、源氏物語が昔から読み継がれていたのは、文学作品として優れていただけではなく、当時の女性にとっての実用書としての面があったからと指摘する。

優れた古典は優れたエンタテイメントであると同時に、実用書である。 (中略)しかし最も長い時代にわたり、多くの人々にとって実用的であったということでいえば、平安時代に書かれた「源氏物語」の右に出る古典はあるまい。

本書に書かれているように、「源氏物語」が書かれた平安時代は女性の地位がとても低くいものであった。

たとえ貴族であったとしても、親の地位が低ければ男性貴族たちから下に見られるのは当たり前であり、それどころか人間扱いすらされないこともあった。

その女性の地位が低い時代で、実際に紫式部藤原北家の名門に生まれた上流貴族でありながら、夫の死により落ちぶれるなどの辛い思いをした。

そのため紫式部は「源氏物語」を通して、光源氏と関係する地位や性格、容姿も異なる様々な女性を登場させる。

そして彼女らがどう生き、どのような結果になったのかを描写することで、当時のストレスフルな時代をどうやって生き抜き、どうすれば少しでも幸福感を得られるのかを書いているのだ。

 

源氏物語に対する見方が激変する

本書には「〇ックス」や「レ〇プ」などのエグい言葉が出てくる。

どこか幻想的で雅な印象のある「源氏物語」には合わない生々しさだ。

しかし実際に光源氏が紫の上やその他の女性達にしたことは、このようなエグい行為にほかならず、また息子である薫の浮舟に対する対応はもはやモラハラそのものである。

本書で紹介されている男性達はこのような行為を当然のようにする人たちであり、やはりそれは「源氏物語」の書かれた時代に、実際に多くの男性貴族たちがおなじようなことをしていたからなのだろう。

またそれ以外にも女性同士の過酷な争い、

このような生々しい現実を知ることで、より「源氏物語」がグッと身近な物語に感じることができた。

 

まとめ

源氏物語」は想像以上に過酷な物語である。

そこで語られる人々、特に光源氏に愛された女性達の姿を通して、現在にも通じる幸せを感じる生き方はどのようなものかを本書は教えてくれる。

また、それぞれの登場人物の境遇や当時の風習など細かいことも説明してくれるので、受験生で源氏物語に抵抗がある人はぜひ読んでもらいたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先生に辛い言葉を言われても、自分を責めないでいい3つの理由

学校や塾で先生から、傷つくような辛い言葉を言われことはないだろうか。

自分は今でもある一言を思い出すことがある。

 

「君には知性のかけらもない。」

 

そう塾の先生から言われたのは、大学の前期試験が終わったあと、当時通っていた塾で翌日に行われる面接のための対策を行っていたときだ。

 

そして面接対策として模擬面接を行ったあとに、言われたのがこの言葉だった。

正直、これ以上にないほどにこの言葉にショックを受けた。

次の日が面接という緊張のなか、自分には知性がないと言われたことで、自分を責めてしまい、ついには自分には医学部を受ける価値はないのではないかと思うまで落ち込んでしまった。

自分と同じように、辛い言葉を言われ自分を責めるような経験がある人いるだろう。

しかし本当は辛い言葉を言われたとしても、かつての自分のように必要以上に責める必要はないといまでは思っている。その理由を挙げてみます。

 

 

先生も自分達と同じ一人の人間

学校や塾に通っていると、先生が神様のように常に正しいと思うことも多い。

だからこそ先生の言うことを真剣に受け止め、彼らの言葉に傷つくこともあると思う。

しかしどんなに偉くて頭の良い先生であっても、自分達と同じ1人の人間なのだ。

時には間違いをすることもあるし、本当は性格的にダメな人かもしれない。

話は変わるが、自分の通っていた塾にもいろんな先生がいた。

生徒の兄貴分として慕われていた先生が、実は20歳も年下の教え子と内緒で付き合っていて、それがバレて問題になった際、自分達の前で土下座したり、またある先生は生徒にセクハラまがいのことを言って、塾をクビになるなど、人間的に少し残念な先生もいるんだなあと感じた。

つまり彼らも人である以上、あなたに言った言葉の全てが当てはまるわけではない。

 

辛い言葉をチャンスに変えることが可能

「君には知性のかけらもない」

そう言われたとき、あまりにもショックで、トイレの個室に駆け込んで、1時間ほど泣いてしまった。何故なら自分自身に対しての暴言だと感じたからだ。

しかし後になって考えてみると、確かに先生の言い方は少しキツ過ぎたのかもしれないが、面接対策で自分が述べた医学部の志望動機やその他の質問に対しての答えが、子供っぽかったのも事実だ。

つまり先生の言葉は、実際には自分のその子供っぽい受け答えに向けられていたのであって、自分の知性や存在そのものを否定する意図はなかったのではないかと今では思っている。

その時はショックを感じたとしても、実際には自分の欠点や改善点を直すことのできるチャンスかもしれないのだ。

 

あなたの全てを否定することはできない。

人は強い言葉で否定されたとき、自分の存在そのものを否定されたように感じることがある。

もしそれが自分を教えている先生や、尊敬している人だった場合はなおさらである。

しかし、たとえどんなに優秀で立派な人でさえも、あなたの全てを否定することはできない。

何故なら、彼ら見ているあなたの姿は、あなた自身の一部にしかすぎないからである。

 人は1つの言葉で、決めつけられないぐらい複雑な存在だ。

特に毎日の勉強や合格への不安から常にストレスを感じる浪人生は、その複雑さがはっきりと表れるように感じる。

周りから頭も良く、性格もスタイルも良いと言われていた人が、実は不正な手段を用いて全国テストの成績を上げていたり、周りから不真面目だと思われたいる人が、実はかなりの努力をしていたなど、多くの例を挙げることができる。

つまり誰でも、他の人からは見えにくい一面を持ってる。だから辛い言葉を言われても、それはあなたの一部分のことを言っているだけで、あなた自身が否定されているわけではない。

 

大学に不合格でも無意味じゃない! 大学に12回落ちた僕が学んだ真実

受験は人生における1つの大きなイベントだ。

その大学、その学部に受かるか受からないかでその後の人生が大きく変わる。

そして頑張って努力して、その結果が不合格であれば、費やした努力や時間にはたして意味や価値があるのだろうかと感じる人も多いだろう。

実際に僕は6年間浪人して、現役時代を含め合計で12回(国立大学の前期・後期)も不合格を経験した。

ここまで大学に落ちた人もそう多くはないのではないかと思う。

当時の僕も「大学受験は合格することが全て。不合格であったらなんの価値もない」と思っていた。

確かに、浪人する人にとって一番の目標は大学合格であり、可能な限りの努と時間をそのために費やすのは当然だと今でも思っている。

しかし、たとえその結果が不合格だとしても、そこにちゃんとした価値はあると僕は学んだ。

きれいごとでなく、不合格でも価値はあるのだ。

 

 

確実に成長できる

多くの人は物事を「結果」で考える。

例えば受験を「合格」か「不合格」のどちらかで考えるように。

 

しかし、かつての僕のように見逃してはいないだろうか。「結果」の前には「努力」があり、そしてその「努力」によって「成長」があるということを。

 

もしも本気で合格したいと考え、1年間必死で勉強するのなら、受験の知識以外にも多くのことを学び、身に着けることができる。

例えば、身近な誘惑に流されないよう、自分の意志をコントロールする能力。

問題が解けなかったり、成績が上がらなかったりしたら、どこに原因があるかを探る原因発見の能力。

常日頃から感じる不安やストレスに上手く対処する能力。

またそれ以外にも、時間管理能力や、効率的な方法を考える能力、知識を分析にまとめる能力など、今後の人生において役立つ能力を身に着けることができる。

 筋トレ本などで有名なTestosteroneさんのこの言葉の通りである。

大学受験は結果で語られることが多いが、その前には真剣な努力があり、確実な成長があるのも事実なのだ。

 

自分を本気で見つめなおせる

 大学を不合格になった時のショックは想像以上だ。

パソコンに、もしくは掲示板に、自分の受験番号が存在しなかった時のあの瞬間。

頭が真っ白になり、「番号がない」という事実を受け止められずに、とぼとぼと1時間もただ歩き続けた、あの記憶。

今になっても、苦い思い出だ。

 

しかし、その不合格という経験は、僕に一つの機会を与えてくれた。

「自分を本気で見つめなおす」という機会だ。

 

当時の僕は本当に何も考えていなかった。

楽観的でマイペースな僕は、客観的に見るとかなり何年も浪人するということはかなりのリスクになるのにも関わらず、深く自分の将来や思っていることしっかり考えたり、自分とちゃんと向き合うことをせず、浪人することを決めてしまった。

自分自身について考えないというのは、人生で最大のリスクの1つだ。

自分の人生をどう生きるか。どんな選択をするか。

これは自分について考えることがなければ難しい。

そして不合格という辛い経験は、自分自身と向き合う大きい機会を与えてくれる。

 

悔しい気持ちが原動力になる

大学を不合格になった悔しさを忘れるのは難しい。

大学に入学して今年で3年目になる今でも、当時のことを考えると、悔しくなってしまう。

特に悔しくなるのは、医学部で勉強している、もしくはすでに研修医として働いているかつての友達の話を聞いた時だ。

「何かが違っていたら、その場所にいるのは自分だったはずなのに」

そう思うのは良いことではないのかもしれない。

 

しかし、この「悔しい」という気持ちは、今の僕を動かす力になっている。

 

大学に入学してから、かつてと比べるとずっと楽しい毎日を過ごしている。

しかしそれでも、嫌のことがあったり、苦しいと思える事もあるのも事実だ。

そんな時、当時の事を考える。

すると「いや、この程度でことで負けてられない。あの悔しさと比べたら、なんてことはない!」と思えるようになる。

そして「医学部に行けなくても、良かったと思える未来にしよう」という思いが持てるようになった。

 

まとめ

誰だって不合格にはなりたくない。誰もが合格を目指して頑張っているからだ。

でも、どうしても難関と呼ばれる大学や学部になると、合格する人よりも不合格になる人が多くなってしまう。それは事実だ。

どこの塾も合格者の人数を宣伝し、その裏にいる何倍もの不合格した人の人数を発表することはない。

 

このように、大学受験は多くの場合、結果が全てかのように思えてしまう。

不合格には意味がない。価値がない。1年間無駄な努力だったと感じてしまう。

しかし、断言できる。不合格にも価値がある。

 

だから、来年受験する人には不合格を恐れず、1年間必死で頑張って欲しい。

人によっては辛くて苦しくて、死にたくなるぐらいの1年かもしれない。

しかし、その1年は合格と同じか、それ以上の価値を与えてくれる。

 

医学部合格という夢が叶わなくても人生は終わらないという話

医学部合格のため勉強している時、よく思っていた。

「医学部に合格しなければ、自分の人生に意味はない。終わったも同然」と。

自分の性格上、追い込まれなければ勉強をしないという理由から言い聞かせていたのもあったが、当時の僕は本気でそう思っていたのだ。

その思いは浪人を重ねて、逃げ道が1つづつ消えていくように感じるにつれて、強くなっていた。

最後には「合格しなければ自分の人生に意味はない。合格できないのであれば死んだほうがいいんじゃないか」と考えるほどだった。

「合格できないのであれば、死ぬ」

そう思いつづけて、家と塾とを往復する毎日を過ごしていた。

しかし、ある日突然、その思いに終わりがきてしまう。

 

合格するという決意の終わり

受験がいよいよ現実味を帯び、肌寒くなってきた10月。それは本当に突然だった。

いつものように朝6時に起き、その後1時間の勉強と、朝食、朝風呂を終えて、いざ塾に行こうとしたとき、突然思った。

「あ、もうこれ以上勉強するのは無理だ。」

まるで穴をあけた風船のように、僕の中から医学部に合格するという決意が、音を立てて漏れ出しているようだった。

もう医学部だとか、センター試験だとか、勉強だとかいった受験に関する全てのモノが、どうでもいいことのように感じ、机に座っても勉強に集中できず、完全な無気力状態になってしまった。

そして、その日から、自分から勉強することができなくなった。

 

そして大学へ

医学部に行くのを諦めた僕は、これ以上の勉強をしたくないため、今の実力で確実に入れる学部へと入学した。

やっと受験を終えてほっとしていたのは事実だが、それ以上に長い間、医学部合格のために頑張っていたのに、結局入ることができなかった自分に対しての失望を感じながらの大学入学だった。

思い浮かぶのは「医学部に合格しなければ、自分の人生に意味はない」という言葉。

格通知をもらい、実際に大学に入学するまでの準備で忙しい日々の中で、時々その言葉を思い出し、今後の自分の人生は一体どうなるんだろうと考えた。

周りを見渡しても、6年も浪人した人はあまりいない。

普通の人達と比べて圧倒的に出遅れたと感じながら大学へ入学。

そうして始まった大学生活。僕はすぐにこう思った。

 

「すごく、楽しいじゃないか。」

 

そう。とても楽しいと感じたのだ。

時間とお金の許せる範囲であればなんだってできる自由さ。

大好きなゲームをやっても罪悪感を感じることもないし、1日中ひたすら本を読んでもかまわない。友人と夜に飲みにいくことさえできる。

浪人の時には経験することのなかった、楽しみが大学にはあった。

そして大学で勉強することで、こう思えるようにもなった

 

「医学部に入れなかったからって、人生が終わるわけじゃなかった」

 

人生は終わらない

僕はこの6年間の浪人で、夢だった医学部に入ることはできなかった。

しかし多くのことを学べたと思う。

そのうちの1つが「夢をかなえられなくても、人生が終わることはない」ということだ。

確かに大学受験は人生の中でも大きなイベントだ。合格か不合格かで今後の人生は大きく変わるだろう。

 

でも、「変わる」のであって「終わる」わけではないのだ。

 

夢に向かって努力し、それでもなお叶えられなかった時、僕のように失望感、無力感、そして自分の人生の無意味さを感じるかもしれない。

 

それでも、その努力が無駄になることはないし、人生が無意味になることもない。

1つの夢が叶えられないから無意味になるほど、人生は単純じゃない。

 

 

最後に

僕は現在、医学部ではないけれど、別の分野で人の健康に関わる学部で勉強している。

浪人していたときには考えもしなかった生活だが、とても毎日が楽しい。

医学部合格に向けて勉強を頑張っている人のなかには、もし合格できなければ、人生が終わるとか、人生に意味がないとか思っている人もいるかもしれない。

でも、それは間違いだ。

確かに、大学受験は人生において重要なイベントだ。でもそれで全てが決まらない。

合格でも不合格でも、その後のあなたの選択が、人生を決めるんだ。

 

 

tundernation.hatenablog.com

 

 

 

 

日記は苦しみからの逃げ道

誰もが人生の1度や2度、耐え難いほどの苦しい日々を過ごすことがあると思う。

僕にとって最後の浪人の年が、今までの人生で一番辛かった。

毎日の勉強はもちろん苦しかったが、なにより僕を苦しめたのは、こんなに頑張っても報われない自分の人生を呪う気持ちと、先の見えない将来に対する不安だった。

そんな苦しい日々を過ごすには、逃げ道が必要だった。

僕の大好きな甘いコンビニデザートを食べて気分を落ち着かせたり、趣味の読書をすることで現実から抜け出したりするなどしていた。

その中で、最も僕を救ってくれた逃げ道は「日記」を書くことだった。

感じている不安、苦しみ、そしてかすかな希望を日記に書くことで、あの苦しかった時期を乗り越えることができたと今でも思う。

 

 

アピカ 日記帳 3年日記 横書き A5 日付け表示なし D307

アピカ 日記帳 3年日記 横書き A5 日付け表示なし D307

 

 

 

1 精神的に楽になる

日記を書くことで1番のメリットはやっぱり、精神的に楽になることだと思う。

自分の中にある苦しみや不安を日記に言葉にして吐き出すことで、自分の感情に整理がつき、思っていた以上に心が落ち着くことができる。

当時の僕は親元を離れ、一人で塾の寮に入って勉強をしていた。そのためすぐ近くに、僕の不安を話せる相手もおらず、また電話してまで親や友達に相談するのも悪いと思い、心のなかのモヤモヤをたまる一方だった。

そんな時、日記は自分の気持ちの唯一出すことのできる相手だった。

1日の終わりに、その日にあったことをすべて書き出し、そしてその時感じた思いを全て日記に書きだした。

たった、それだけのことなのに、書き終わった後は気持ちが落ち着ているのだ。

 

 

 

 2 自分の行動を見返すことができる

日記を書いて、あとから見直すことで、自分の考え方や感じ方の癖を見つけられるようになる。これは本当に重要だ。

何故なら人は自分自身について知ることは本当に難しいからだ。

当時の僕は自分でも何がしたいのか、将来どうなりたいのか、まったく分からずにひたすら勉強をしていた。

しかし日記を書いてから、過去の自分がどんなことを考え感じていたのかを知ることによって、自分が本当は受験に耐えられないぐらい追い込まれていることに気づいたのだ。

 

3 単純に読むのが楽しい

 そして何より、日記を読み返すのはとても楽しい!

浪人生の時に書いた日記の内容はとにかく「死にたい」「辛い」「もうムリ・・・」などのネガティブな内容で溢れている

当時の僕からしたら切実であったのだが、今の自分が読み返すと、あまりにネガティブな内容に少し苦笑してしまうと同時に過去の自分を褒めてあげたい気分になる。

「本当に頑張ったんだね。今は辛いだろうけど、大学に入ったらとても楽しいよ!」と過去の自分に伝えたくなってくる。